『つながらない生活』

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方



ウィリアム・パワーズ著『つながらない生活−「ネット世間」との距離のとり方』(プレジデント社、2012年)、ようやく読み終わりました。


「スクリーン*1」によって、生活は便利になった一方で、膨大なつながりを処理することによってますます忙しくなった現代社会において、著者は自分の経験から、「つながりに満ちた世の中にあって実り多い幸せな人生を歩むには、つながりを逃れる術を身につける必要がある」と提案しています。
スクリーンを介してつながるのは好ましく、つながればつながるほど望ましい、という「つながり至上主義」によって慌しさが増し、落ち着いてじっくり考えることができなくなっている状況。そして、これが賢明な暮らし方だと判断したわけではないが、「実情はこうなんだから仕方ないじゃないか」と多くの人が考えている状況。
著者によると、このような状況は現代社会だけの問題ではなく、

人類は何千年も前から時空を超えてつながり、そのためにテクノロジーを活かしてきたのだ。そして、新しい道具が登場するたび、今日と同じように、忙しい、情報が多過ぎる、どうにも落ち着かない、といった問題が持ち上がった。(p.20)

として、プラトンセネカグーテンベルクハムレットシェイクスピア)、フランクリン、ソロー、マルクハーンの騒々しい世間との距離のとり方(適度につながらない方法)を紹介しています。

「生産性を高めるためのツール」であるはずのスクリーンのせいで、実は、本来の生産性に欠かせない集中力が途切れてしまっている。しかも、つながりがより速くより緊密になっていくにつれて、現実は理想のあり方から遠のいていく。デジタル世界の慌しさは、奥深さにとっては敵なのだ。(p.35)

スクリーンを介したコミュニケーションがぞんざいで慌しいのは、顔を合わせる機会を軽視する傾向とも無縁ではない。あらゆる人を永久につなぎ止めておけるなら、人間どうしの出会いや触れ合いはどのようなものであろうとすべて、色褪せて重みが損なわれていく。人付き合いそのものが手軽でありきたりな性質を強め、空気のようなものとして受け止められる。各人はことさら区別されず、その他大勢の一人にすぎなくなる。リビングにいる数人を放っておいて、スクリーンを介して大勢とつながったほうがよいだろう。そこではユーザーフレンドリーな画面上に人間のコラージュが展開されていて、次々と無限にクリックできる。それに、注意をすべてに振り向ける必要などけっしてないのだ。(p.86)


そして、著者がデジタル世界の慌しさからを距離をおくためにとった方法が、「インターネット安息日」です。具体的には、金曜日の就寝時にモデムの電源を切り、月曜日の朝までそのままにしておくこと−つまり、土曜日と日曜日はスクリーンを使わない生活をするということでした。最初はとまどい、いろいろ苦労もあったようですが、今では「インターネット安息日」が生活になじみ、より自然な秩序が戻ってきたと述べています。また、著者は、アイディアを引き出してくれるツールとして、紙の手帳(モレスキンの手帳)を紹介しています。


それでは、自分はどうかというと…。
この本を読むのに時間がかかってしまったのは、最近、読書にあてている通勤時間にTwitterを見ていることが多かったためです。雨で傘を持っていたため、本が持てず、Twitterを見ていた、というのが正しいかもしれません。
確かに、スクリーンは便利ですが、一方で、著者の言うとおり、私たちに慌しさをもたらしているのも事実です。スクリーンとうまく距離をとって付き合う、時には、スクリーンとつながらない時間を設ける、ということを意識して行うことが必要なのかもしれません。
この本は、ネットとの付き合い方を考え直すきっかけを与えてくれる本です。

*1:この本では、ディスクトップ・コンピュータ、ノートブック・コンピュータ、スマートフォンを含む携帯電話、電子書籍リーダー、タブレット端末などの通信機能つきデジタル機器を総称して「スクリーン」と呼んでいます。