吉田修一『国宝』を読みながら思ったことなど

年末年始の休みを利用して、吉田修一『国宝(上、下)』(朝日新聞出版)を読みました。

正確に言えば、あと少しで読み終わるところまできました。

1冊約350ページくらいの長編小説。気になってはいたけれども、なかなか手に取れずにいたのですが、作年末にようやく読み始めました。予定では、仕事始めの前に読み終えるはすでしたが、他の本を先に読んだりしていたら、予定どうりには読み終わらなかったという…。

小説『国宝』を読みながら思ったことなどを綴ってみようと思います。

 

国宝 (上) 青春篇

国宝 (上) 青春篇

 
国宝 (下) 花道篇

国宝 (下) 花道篇

 

 

歌舞伎の世界を知ることができる小説

この本は、「任侠の一門に生まれながら、歌舞伎の世界に飛び込み、稀代の女形になった男の数奇な運命を描く大河小説」ということになるのですが、歌舞伎の舞台の裏側ー歌舞伎ファンが普段目にすることができないからこそ知りたいことと、あまり知りたくないことの両方ーが丁寧に描かれています。ドキュメンタリーだと生々しいことも、小説だからこそ、描くことができたのかもしれません。

下巻の巻末に、参考文献として、役者の伝記資料などが並んでいますが、この小説で描かれた多くのことが、著者自身が四代目中村鴈治郎と知己を得て、黒衣として歌舞伎と接していたという経験によって知ることができたものでした。著者が黒衣として歌舞伎に接した経験は、インタビュー記事になっています。できれば、『国宝』を読む前に、予備知識として読んでおくことをおすすめします。

 

book.asahi.com

 

また、朝日新聞出版の「『国宝』公式サイト」もあります。新聞の書評へのリンクがあるのは便利なのですが、読者が一番知りたいと思われる「系譜」は、まだ「近日公開」予定のままです。(複雑で、作成しにくいからではないでしょうか?)

publications.asahi.com

 

主人公をとりまく人々の不幸の数々

実は、私が吉田修一の作品をちゃんと読むのは、この本が初めてだと思います。小説は、時代小説は読むのですが、現代ものはほとんど読まないので…。吉田修一という小説家について、予備知識がないまま、『国宝』を読みました。

読んでいて、父親の壮絶な死、師匠の失明と死、師匠の息子でライバルでもある俊介の失踪・病気・死など、自分のそばで不幸があることで役者として成長していく主人公・喜久雄の様子に、息苦しくなったこともありました。著者も、喜久雄の娘・綾乃に、

「お父ちゃんがエエ目見るたんびに私ら不幸になるやんか!」

と語らせています。(下巻 p.297)

そんな時、著者インタビューを読み直して、「この小説が描いているのは、歌舞伎そのものではないか」と気づきました。

歌舞伎の舞台では、悲惨な死の場面でも、これでもか、というくらい壮絶に、かつ美しく見せます。不幸な場面も、徹底的に哀れに見せます。この小説が描いているのは歌舞伎の舞台で演じられる物語と同じではないか、と気づいたことで、息苦しさは消えて、小説として楽しめるようになりました。

 

歌舞伎の物語が、小説のあちこちに取り入れられている

また、小説のあちこちに歌舞伎の物語がちりばめられているように思いました。

例えば、喜久雄の父親が殺される場面。雪の中での立ち回りは、「仮名手本忠臣蔵」の、討ち入りの場面(吉良邸の庭での立ち回り)のようです。

任侠の世界は、歌舞伎でもよく描かれています。

歌舞伎の家の跡取りでもある俊介の失踪や無念の死という設定(名家の跡取りの失踪や受難)も、歌舞伎ではおなじみの設定ではないでしょうか。

これらは、著者自身が意識しているのかどうかは不明です。もしかしたら、歌舞伎に限らず、小説でもおなじみの設定ではないかとも言われそうですが。

そして、主人公を含め、「特にモデルはない」と著者は言っていますが、登場人物の歌舞伎役者について、「もしかしたら、この設定のモデルは、あの役者さんでは?」と思ってしまった箇所がたくさんありました。

喜久雄の師匠・白虎が失明しても舞台に立ち続けたという設定は、十三代目・片岡仁左衛門のようですし、俊介が両足を切断しても舞台に立とうとする執念は、幕末から明治にかけて活躍した三代目・澤村田之助のようです。

 

歌舞伎が好きな方にこそ、おすすめしたい本

小説『国宝』は、歌舞伎の舞台の裏側、役者の世界のあれこれを知ることができるだけでなく、登場人物の設定や小説の舞台設定に、歌舞伎の役者さんや歌舞伎の物語が取り入れられているのでは、といろいろ想像しながら楽しむことができます。

歌舞伎が好きな方に、おすすめしたい本です。